takeshi goto
architect & associates


トリスタン・ツァラの家




透明性
アドルフ・ロースの建築には透明感がある。彼の建築は厚い壁や濃密なテクスチャーによって、閉鎖的で古めかしい印象を与えはするのだが、しかしそれにもかかわらず透明なのである。物質の厚みや重さをたずさえていても、それは透明である。

平面や立面、断面といった二次元の平面を組み合わせてできあがった立体物からは、透明性を感じとることはできない。時間をかけて建物を順番に経験することをとおして全体を把握していくほかないからである。時間差と複合性が、透明性を濁らせることになる。たとえそれがガラスで覆われた建物であったとしても、透明にみえることはない。建築の設計には図面というメディアが存在していて、他者とコミュニケーションをとり正確に構築するために図面が必要なのだと言われる。そして図面を言い訳にしながらひとは三次元を統覚する困難を回避していく。

三次元の立体物をあつかうひとは、直接ヴォリュームをつかまなければならない。みえていない向こうを同時につかむことができなければならない。透明性とはその結果みいだされてくるものである。透明な素材を多用しようとする建築家は、みずからが透明性をとりのがしていることを怖れ、物質の透明性で代替しようとする。しかし、建築家ひとりが物質の透明性を見透かしていれば事足りることなのだ。住み手の身体がガラスのショーケースの中に晒される必要などありはしない。家は物理的に透明である必要はないのだ。

平面、立面、断面という二次元の区別を捨て去り、階層という絶対的な基準をも捨て去り、ヴォリュームとして建築を構想すること。これがロースの発明なのだった。それをのちの弟子たちはラウムプランと呼んだ。しかしロースはそれを名詞化することに抵抗を示していたという。名詞化した瞬間に透明性が逃げだしてしまうことを直感していたのかもしれない。

1925年の8月トリスタン・ツァラは、パリ・モンマルトルの住宅地ジュノー通りに面した土地を購入し、アドルフ・ロースと設計契約を結んでいる。それにともなってロースはウィーンからパリへと転居し、慣れない外国であるにもかかわらずツァラ邸の基本設計だけでなく現場監理まで担当することを決めている。そして翌年には竣工してツァラ一家はこの家に住みはじめることになった。ツァラのためにつくられた家は、ロースの試みがとてもうまくいった例の一つなのではないかと思う。近代建築史がこの家を透明だと記述することはないけれども、しかしこの家はたがいに見えていない面が貫入しあい複雑に絡み合いながら、それらが圧縮された透明な空間としてつくられている。

シンメトリーの迷宮
一見して気づくことができる特性は、ロースの建築には対称性が用いられているということである。対称性は古典主義建築の常套的な手法であり、近代建築はこれを否定して非対称や反復へと向かっていったわけだから、ロースの対称性はいつも彼の前近代性をしめす兆候として語られる。しかし注意してみるとこの対称性こそが、ロースの建築の透明性とかかわりをもっていることがわかってくる。

ジュノー通りに面したファサードは整然とした幾何学的な分節にしたがっているようにみえる。しかしここから内側の意味を読みとろうとしはじめると、実はとたんに謎めいた混乱に陥ることになってしまう。この家はいったい何階建てで、何人家族がどのように住んでいるのか。誰がどこから入りどのように上へあがっていくのか。いや、全く想像することができないというわけではない。さまざまな解釈が生まれるが、しかしファサードだけでは論理的な整合性をつくりあげることができないのだ。

一階には左右対称的な位置にエントランス・ドアがついている。するとこの建物を垂直方向に真ん中で二つに仕切って二世帯が住む家ということなのだろうか。しかしファサードの立面は垂直方向にちょうど二つに分けられていて、下半分は粗い積石仕上げ、上半分はスタッコによる平滑面になっている。これは上下で住み分けているということなのか。しかし三層目の左右対称につけられた三つの窓は、下半分が突然切断されて積石で塞がれてしまったかのようであり、どうもここで階層が分かれているようにもみえない。

このような事態はファサードの面だけにとどまらず、断面やリヤ・ファサードなどあらゆるところに及んでいく。ロースの建築が謎めいているとよくいわれるのは、みるものが意味解釈の宙吊り状態に置かれてしまうところからきている。

実際には、一階のエントランス左側はツァラ家の駐車場の扉で、右側がツァラ家のエントランス・ドアになっている。二階部分は賃貸住宅として貸し出しており、こちらへのアクセスは、裏側からになっている。ジュノー通りと裏側とでは土地にレベル差があって裏の方が高くなっており、そこから賃貸住宅へ入るようになっている。ツァラ家の人たちは二階を通りこして三階へとあがっていくわけだ。つまり二つの異なる世帯が入れ子状の関係をつくりだしている。ファサードを垂直方向に二つに仕切っていた線は、実はファサードからは見えていない裏側の地面のレベルをあらわしていて、ファサード側の三階のちょうど半分の高さで切られていている。

断面方向にも、断層のような対称性が埋めこまれている。その断層を境にして部屋の天井高や床の高さが変えられている。それぞれの部屋に必要な高さが与えられる。サロンは圧倒的に高く、トイレは極端に低く。ダイニングはサロンよりも少し上がったところに床があり、そのあいだの切断面は舞台の幕のようにカーテンがかけられ、そこで演劇が行われることがあったという。

 室内でも対称性は徹底している。訪問者は左右対称に設えられた扉のどちらか一つを選択して進路をすすんでいくことになり、それを何度も繰り返してこの家を経験していくわけである。しかし選ばれなかったもう一つの扉の向こうにはいったい何があるのか。自分が選んで経験したこの家の総体のほかにも、まだこの家は続きがあるはずだ。しかしどれだけの続きがあるというのだろう。当然平面図などを眼にすることがない訪問者は、その家の全体像をはかることができない。扉のうちのいくつかはただの収納扉であったりもするのだが、繰り返されていく二者択一をとおして、この家は実容積をはるかにこえる潜在的な空間を訪問者の意識のなかに作り上げていってしまうことになるだろう。安定した構造をもっていたはずの古典主義の対称性は、ここでは一転して迷宮をつくりだす道具と化している。古典主義において対称性とは、明確な全体の論理を表出する形式のはずだった。しかしロースの対称性は、謎に満ちた深遠に陥れる。だがそれにもかかわらず、それゆえにこそ、ロースの建築は透明なのである。

近似的建築
ロースが設計するツァラの家は、一つのかたまりとして明確な輪郭をもっている。その輪郭は、装飾を剥ぎ取られることによってむしろ強調され、無表情なかたまりとなっている。彼は建築を分断させながら、瓦礫に解体することなく、一つのヴォリュームのなかに封印させる。家は、平面的、断面的、立面的にも分断され軋みあう断片として存在している。その軋みのあいだにすむ人間は、しかしそれにもかかわらず居心地のよさを感じているはずである。住むことのプリミティブな快楽と、空間を占拠することの子供じみた愉悦、そしてその中に隠れるスリルが、この家にはあるような気がする。いまだ誰にも占拠されていない場所をはじめて領域化する喜びを感じさせてくれるような家だ。アフリカ彫刻のコレクションを家中にちりばめながらツァラは、まるで降り積もった雪のうえにはじめて足跡をつけていく子供のように、この家を占拠していったようにみえる。

作家は紙と鉛筆があればどこでだって詩をつくることができるわけだから、作家の創作にとって家のもつ意味を推しはかったところで大した意味はないのかもしれない。必要以上にロースの設計にツァラの詩の秘密をさぐることは野暮というものだろう。ただ、ロースはツァラのためにこの家を設計した。あたりまえに思えるこの事実は、たとえばル・コルビュジエがサヴォア氏のために設計したということとは少し意味がちがう。

ロースが設計する他の家以上に、この家でロースはツァラにしかあてはまらないような特殊解を求めていたようにも思える。大文字を消し去り、句読点を消し去り、意味の連関に頼らずに詩の全体性を構築しようとする『近似的人間』は、この家で書かれた。この家に沈潜するようにして書き継がれていったのが『近似的人間』だったということだけは確かである。