takeshi goto
architect & associates


複製技術としての建築
ル・コルビュジエ論


photo:Rene Burri


「その皮膚をコピーできないならば、その生理を尊重すべきである」
(ヴェネチアの病院設計時のル・コルビュジエの言葉)

1複製技術時代の建築
ル・コルビュジエは、複製技術時代の建築とはどのようなものでありうるのかを考えた建築家である。このことはすでに言い古されたことのようである。自ら作品集の編集に携わり、近代建築の五原則をうたい、スローガンを宣伝する文章を書く。複製技術の発展をいちはやく建築の世界に取り入れ、動かない建築をイメージとして流通させる試みをしたル・コルビュジエ。写真や映画というメディアの強い影響を受け、自らもガルシュのシュタイン邸を舞台にしたフィルムを製作するル・コルビュジエ。コルビュジエがメディア戦略に意識的であった最初の建築家であるということがたびたび指摘されてきた。

しかし、近代マスメディアを利用した最初の建築家像をル・コルビュジエにあてはめただけでは、彼の複製技術をめぐる思考を十分に汲み尽くしたとは言い難い。ものとしての建築と、イメージとしてのメディアの二分法を前提にした考え方に立つ限り、建築家としてのル・コルビュジエが複製技術時代の建築をどのように構想していたかを理解することはできないからである。ル・コルビュジエは、複製技術時代の建築を考えていた。それは、営業戦略としてのメディアと実製作としての建築とを分けて考えるということではなく、建築それ自体のメディア性を問うということである。 当然のことだが、建築は動かない。その場を訪れない限り経験することのできないメディアである。それは物質的な現前であり、事実である。しかしそれだからこそ、たとえパブリックに開かれた公共建築であったとしても、限られた使用者だけしかその場を経験することができないものである。そこでル・コルビュジエは写真の複製技術に着目して、作品集を編集することを通して、建築を場所から引き剥がし、複製化しようとする。

写真は事実を転写するものだと考えられている。たとえば絵画とちがって写真は、ありのままの事実をそこに自動的に写し出すメディアだということになっている。しかしル・コルビュジエは、自分が設計し竣工した建築を写した写真に加工修正を施し、現実とは異なる姿にして作品集に載せるという作業をしている。これをル・コルビュジエの虚偽と摘発することも可能だろうが、しかしここには興味深い問題が隠れているように思う。頭の中で構想され、設計図に描き写された架空の建築プロジェクトは、さまざまなプロセスを経て、いつしか現実となる。絵空事が現実に置き換えられるわけである。クライアントの要求や施工や敷地の制約などの現実的な束縛の中で、案はさまざまな変形を受けて現実として着地する。当然完全にル・コルビュジエの意図どおりに竣工する案件はそう多くはないだろう。そこで写真上で手を加えることになるわけだ。

現実は現実であり、空想や虚構と区別して考えるべきだとする世界像からは、このような操作は決して生まれてくることはない。唯一無二で不動だと思われている現実が、実はありえたかもしれない可能世界と地続きであること。ル・コルビュジエが写真という複製技術を使用する背景にあるのは、そのような世界像である。ことは建築だけに限らない。彼は絵画をネガにし、左右反転させて、印刷するという試みも行っている。自らの手で描き出した油彩画も、それ自体がオリジナルなものであるというわけではなく、操作が加えられ、編集されていくべきものであるという考え方。人間が描き出したものに機械の手が加わり、現実が多層化されること。また一方で機械の目は人間の手の介入を受けて歪められる。これがル・コルビュジエ的な事態であり、一貫して彼はこのことにこだわり続けていくことがわかるのである。

2機械の視覚
機械が介入することによって生み出される経験の変化を、彼は建築の制作においても追いかけていく。住宅はカメラである、とル・コルビュジエは言う。そのときに意図されていることは何だろうか。それは、人間的な視覚とは異なる、機械の視覚が住宅に入りこんできていることを示しているのではないだろうか。よく知られているように、師匠のオーギュスト・ペレとのあいだで窓をめぐる論争を引き起こしたル・コルビュジエは、自らが主張する水平連続窓の効用を採光環境などを根拠に論証していく。ペレの縦長窓は、立ち止まって佇むためにはふさわしい。静止した自然な風景を室内にもたらすからである。それは自然の奥行きをもっている。

その一方で、ル・コルビュジエが提唱する水平連続窓は、動きながら風景を楽しむ窓である。あるいは、たとえ観者が静止しているときでも、視線は水平方向にとどまることなく推移していくことができる。室内に水平方向の動きをもたらしてくれるわけである。垂直方向を大胆にフレーミングする水平連続窓は、近景、中景、遠景の自然な区別を曖昧にする。奥行き感のなさが特徴である。視線は、平板的な映像を水平移動=パンしていく。水平連続窓は、室内と屋外が地続きの同じ現実としてあるように感じさせるよりは、むしろ実空間とは異質な映像として、外部を経験させる装置としてあるかのようである。地続きのはずの屋外の現実世界が、自分とは隔離された映像世界として経験されるということ。

サヴォワ邸には、一つ特殊な窓がある。それは、スロープの終わり、屋上のソラリウムにのぼっていくその先にぽっかりと空いたピクチャー・ウィンドウである。そのピクチャー・ウィンドウに向かってまっすぐスロープを登っていく観者は、もはやパンする映像を楽しむことはない。遠景としての空が奥行きを消去されて切り取られたその窓にどんどん近づいていき、映像はクローズ・アップしていく。ここがこの映像世界としてのサヴォワ邸の終わりである。

 サヴォワ邸は、これだけガラス貼りで連続的な回遊動線が巡らされているから、オープンな一体空間として感じられるのかと思えば、意外にそうではないように思われる。たとえば、サヴォア邸のリヴィングでくつろぐ人物は、巨大なガラスサッシュを介して、テラスにいる人物となごやかに談笑するようなコミュニケーションをとることはあまりなさそうである。視線としては見えていたとしても、その両方の空間では、別々のアクティヴィティが成立しそうな気配すらある。テラスにいる人物は、たとえば水平連続窓から持ち出された造り付けのテーブルに座って、リヴィングのガラスサッシュと直交して水平方向に切り取られている連続窓の方に向き、またもう一つ別の世界、映像としての風景と強くつながる。サヴォワ邸は、空間が地続きで連続していながらも、そこで生活することをイメージすれば、かなり独立性の強い空間であることがわかる。視線は見通せているのに、別の生活が同時に随所で起こっている姿は、それまでの住宅では想像することが難しい。

サヴォワ邸でル・コルビュジエは、住宅のなかにカメラの視点を導入しようと試みた。それは、透明で均質な地続きの空間ではなく、空間が映像によって分断されるような、不均質で断片的な世界である。建築が住み手に働きかける感覚は、かつてのような自然で現実的なものではないということ。直接的な現前としての経験をもたらす建築から、間接的でつぎはぎだらけの機械的な経験が、住宅という場で生み出さはじめたのではないだろうか。

サヴォワ邸の水平連続窓は、横方向に途切れのない連続的なフレーミングを供給しているが、その実、映像としては単調であると言えなくもない。ル・コルビュジエはサヴォワ邸以後、さまざまな窓の変異形を生み出しては、水平方向に連続する映像表現を執拗に追及している。たとえば、「オンデュラトワール・パン・ド・ヴェール」がある。ラ・トゥーレット修道院などで用いられることになる「オンデュラトワール・パン・ド・ヴェール」は、連続的な水平方向の映像の推移に対して、あえてコンクリートリヴを不規則に入れて、連続する映像を切断したり、つなぎ合わせたりしようとする。それは、あたかもエル・リシツキーのフォトモンタージュのように、風景をスローモーションとして切り取っていく。ラ・トゥーレット修道院は回廊形式になっているために、切り取られる風景は、外部の自然だけに限らない。向こう側の回廊を歩く修道士が、リヴの間を通り過ぎる映像が、中庭の自然を通り越して見え隠れする。現実と映像の複雑なモンタージュが生まれている。

住宅は住むための機械であるとル・コルビュジエが主張するとき、そこにはさまざまな含意があったように思う。一つにはよく指摘されるように、一品生産の建築からプレファブリケーションの複製品として住宅を生産しようとする意味がある。またもう一つには、精密機械として組織されたメカニズムを備えるべきだという視点もあるだろう。そしてさらに言えば、カメラに表象されるように、人間の生身の経験とは異なる機械の経験とでも言うべきものを住宅に導入すること、機械の目を装填することを目論んでいたのではないだろうか。

3近さと遠さ
パリのアパートのペントハウスを改装したベステギ邸は、機械の視線を住宅に導入するというモチーフからみれば最も興味深い対象となるだろう。機械仕掛けの建具が随所に盛り込まれたこの住宅は、住むための機械としての住宅のモデルと言っていい。近代建築の五原則の一つである屋上庭園をつくりだしてパラペットを高く立ち上げ、屋根のない室内をつくりだす。そしてそのパラペットのエッジをフレームとして見立てて、エッフェル塔や凱旋門といった高層のパリの名物だけを切り取ってあとの風景は捨象する。はるか遠くに存在する凱旋門を、フェイクの暖炉のマントルピースの上に、まるで土産物のミニチュアがちょこんと乗っているかのように見せている。遠くにある実物の凱旋門は、フレーミングされることで縮小され、模造化される。

屋上には潜望鏡が設置されており、下階の部屋にファインダーが降りてきている。はるか遠いパリの景色を最も内密な部屋から映像として楽しむ仕掛けがここにはある。近さと遠さを一気に近づけようとする人工的な距離の操作をここに見て取ることができる。

近景としての現実空間と、遠景としての外部の映像を並置させる操作は、すでにサヴォワ邸でお馴染みのものであったが、このような近さと遠さをシャッフルさせる操作は、さらに継続して行われている。たとえばマルセイユのユニテ・ダビタシオン。その屋上には、さまざまなヴォリュームが与えられたオブジェが散乱している。これらのオブジェには、遊びや休憩のための機能が与えられているわけだが、このオブジェの形態を決定するのには、周辺の遠景が参照されていることがわかる。たとえば、ランドスケープのマウンドは、五マイル離れた岩山と対応させてデザインされている。いわゆる借景だと言ってもいいのだが、この対応関係は、現実の山脈を模型のようなものに変容させる。現実のスケールと奥行きをもった世界を、書割のような映像に転化する装置なのである。目の前の手が届くマウンドと、遠くの映像としての山脈をシャッフルさせる空間装置。それがユニテ・ダビタシオンの屋上庭園のデザインであると言えなくもない。

近さと遠さをシャッフルする効果を強調して表現するために、ル・コルビュジエはやはり写真を利用することもあった。作品集の中で、クック邸の内観写真に小さな人形をそれとなく配したり、ガルシュのシュタイン邸に横たわる小さな彫像が置かれたりすることでスケール感が操作される。人間そのものを配置するのではなく、人間を縮小し、模像化して空間の中にレイアウトしていくわけである。

4痕跡と追体験
ル・コルビュジエの建築を経験していると、痕跡に対する強い感覚を受けることになる。たとえばサヴォワ邸の浴室には、身体の曲線を象ったオブジェがある。人が裸体を露出させる場所に曲線を用いるのが彼流のルールのようだが、水浴をしながら、ここに横たわりくつろいだり、トップライトから注がれてくる陽光を浴びたりするためにつくられたものなのだろう。磯崎新がこのディテールにインスパイアされて、マリリン・モンローという複製技術時代の偶像の身体曲線を象ってスケールを作成したことが知られているわけだ。ともかくも彼の身体に対する感覚が感じられるディテールではある。しかしそうはいっても、コンクリートで打設してタイルで仕上げたこのディテールは、むしろ冷たく象られた身体の不自然さが感じられる。身体の動きがフリーズさせられた、ポーズをとらされている身体。

作品集の写真を見ていても、その感覚は強く描き出されている。内観写真の多くが、さきほどまで人がそこにいて、たった今出て行ったと思わせるようなショットなのだ。特に第一巻にそのような写真が多い。ちょっとずれた椅子の配置、書きかけの書類がテーブルの上に置き忘れてあったりして、人の痕跡が写真に刻印されている。

螺旋階段もそうである。サヴォワ邸にはスロープと螺旋階段が対で作られている。螺旋階段は最小の機能動線を考慮に入れて計画されたのだとは思うが、それにしてもそこには映画的なセットの趣が漂っている。螺旋階段自体も、スパイラルの動きをはらむオブジェのようだし、そこをあがったりさがったりする人の身体にスパイラル状の動きを与える空間装置のようである。マルセル・デュシャンが執拗に描き出した「階段を降りる裸体」の機械的な人の動きを思い起こさないだろうか。

 自由な平面を標榜しながらも、完全にフレキシブルなユニヴァーサルスペースを構想するわけではなく、ル・コルビュジエは人の身体の痕跡を建築に埋め込んでいく。造り付けのテーブル、人の抜け殻のようなオブジェたち。かつて人間の身体が象られたかのような場所を、人は追体験するようにしてそこに身体をうずめる。追体験するというのは、ル・コルビュジエ的な空間経験であるように思う。もちろん追体験というのは虚構ではある。だが古代ローマの水浴の記憶やさまざまな記憶が埋め込まれて、人はそこで追体験することを強いられるかのようである。
身体の痕跡で象徴的なのは、やはりモデュロール・マンであろう。モデュロールの原理を見出して以後のル・コルビュジエは、モデュロールの寸法体系で作り出された身体像をモデュロール・マンとよび、コンクリート打ち放しの壁面にレリーフ状に表現していくことになる。

5鋳型と記憶
身体の記憶を埋め込む素地となるのは、ル・コルビュジエにおいてはやはり鉄筋コンクリートである。彼は、型枠材の木目や繊維の模様、継ぎ目の痕跡をそのまま残すことを求め、コンクリートを打ち放したまま仕上げをしないことを選択する。彼はこれらの痕跡を「しわ」や「出産斑」にたとえて賞賛する。ここでも身体のメタファーがあらわれている。身体の表面に刻まれた歴史を表象する「しわ」や「出産斑」を、コンクリートの生成過程に転位させ、その生成過程を化粧などで隠蔽させることなく表面にあらわすこと。

たとえば写真は、光の痕跡である。その時その場の光がフィルムを感光させ、痕跡としての映像が残る。デジタル映像と写真が異なるのは、写真が物質としての光の痕跡として存在しているということであろう。写真の原理とコンクリートの原理は少し似ている。ネガとポジ。そもそも鉄筋コンクリートは、このようなネガとポジの関係をもっている。鉄筋コンクリートは、型枠を構築し、そこにコンクリートを流し込んで凝固させることで成立する。だから構築するのは型枠の方であり、そこにネガとしてのコンクリートが流し込まれていくわけである。マルセル・デュシャンが鋳型にこだわり続けたのに似て、あるいは、マックス・エルンストが熱中したフロッタージュにも似て、型枠が転写される。

エツィオ・マンツィーニという批評家は、『創造のなかの素材』という著書のなかで、石や木のような自然素材が時の経過や持続性を目に見えるかたちでそれ自身のなかに含みこみ、地域性や場所性をもつ記憶を携えた物質であるのに対して、プラスチックのような新素材は、記憶を欠いた、いわば健忘症の素材であるという。木は年輪というかたちで、それが生きてきた時間を目に見えるかたちで刻み込んでいるし、石は、かつての生物などの有機物が長い時間をかけて凝固していったことを、素材自体が表現しているわけである。

大理石にせよ、トラバーチンにせよ、縞瑪瑙にせよ、とてつもなく長い時間をかけて徐々に凝結していったものであり、沈殿し、蓄積した時間が切断面に埋め込まれている。だが、コンクリートにはそうした記憶が欠けている。コンクリートもまた、プラスチックと同じように場所や時間の蓄積をもたない素材であろう。どちらも高い可塑性をもつが、それ自体が歴史の物語を語りだすことは決してない。記憶喪失で、なおかつのっぺらぼうの素材である。その場で凝固すること。さきほどまでの液体の記憶はもってはいるけれど、ほとんど何も覚えていない素材。アウラを欠いた素材としての鉄筋コンクリート。

コンクリートは、そもそもそれ自体流動的で、単位も分節もほとんどない。たとえば微細なコンストラクションが可能な鉄骨造に比べれば、コンクリートの配合などの経験値に頼り、ドロドロの液体を流し込む工法も、決して洗練されているとはいいがたい。鉄骨造や木造は、単位の分節が明確であり、それを組み立てる論理を構築していくことができる。構造材自体を積んだり組み立てたりして出来上がるのにたいして、コンクリートは液体状のコンクリートを型枠に流し込んで、化学反応をへて固体へと定着するわけであり、つまり構築するのは補強鉄筋と、鋳型である型枠である。だから私たちの目に触れる構造材としてのコンクリートは、きわめて受身の物質であるといえる。健忘症で受身の物質であるからこそ、そこに人工的に記憶を編集していくことができる。型枠の木肌の記憶を転写し、古代ローマの水浴場の記憶を象り、身体曲線の痕跡を宿す。鉄筋コンクリートという記録媒体に刻印される記憶は、編集可能である。鉄筋コンクリートは、アウラなき時代の記憶媒体となるわけである。鉄筋コンクリートは、20世紀建築を生み出した素材として技術的な側面が注目されてきた。もちろんル・コルビュジエもその技術的な力に魅了されてきたわけだが、さらに彼はメディアとして、鉄筋コンクリートを見据えていた。

複製技術としての写真に関心をいだくル・コルビュジエは、同じようにして、いやもちろんそれ以上に複製技術としての鉄筋コンクリートに関心をいだく。両者に対して関心をいだくモチベーションは、実は同根だったのである。

6物質と映像
1930年に設計を依頼されたスイス学生会館で、ル・コルビュジエはこれまでにないほどの素材を組み合わせて設計する試みをはじめている。とくに基壇部分のファサードに乱石積みが用いられたことによって、それまでの白色を基調にした抽象的な幾何学性とは異質な方向に向かいはじめたことが言われる。素材感を強調するテクスチャーの使用がはじまったことにもっぱら注目が注がれるが、ここではその建物のインテリアに使用されていたテクスチャーに注目してみることにしよう。おそらく化石や繊維などを拡大したものなのであろう。生物学のマイクロフィルムが引き伸ばされて焼付けされ、壁面のヴォリュームを覆いつくしている。これは展示ではなくて建築の仕上げである。そしてそのすぐ脇には、造り付けの大理石のカウンター、現実の物質、かつての生物の痕跡を視覚化した実物の大理石に触れながら、古生物の映像イメージを見つめることになる。

 この対比は、明らかに意図的である。ファサードの乱石積みとその裏の古生物の写真。これらは対でスイス学生会館のテクスチャーを作り出すものであろう。ル・コルビュジエにとってどちらか一方だけが重要だったのではないはずである。それまで使おうとはしなかった素材感あふれる石のテクスチャーだけでも、抽象的なイメージとしての生物学の写真だけでもこの建物の表現は成立しなかったのではないだろうか。物質をイメージに還元させていこうとする力と、物質自体がもつ表現の力をぶつけ合わせて、単なる抽象的なイメージをこえた新しい物質=イメージの世界をのぞきみたいという欲求を、ここには見て取ることができる。

1932年に依頼されたドゥ・マンドロ邸は、地元産の石材を耐力壁に用い、屋根に鉄筋コンクリートを用いることを試みている。ここでは、乱石積みのテクスチャーは、ガラス面などと面一に近く納められており、石を積み上げたことを字義通りに表現する表層であるというよりは、あたかもテクスチャーマッピングされたかのような表面に見える。ウィリアム・カーチスはこの表現を称して、「工場の美学とプリミティブな美学のモンタージュ」と呼んでいたのだった。モンタージュ。そう、ここでル・コルビュジエが行っているのは、モンタージュである。

後期のル・コルビュジエの表現はブルータリズムと呼ばれる。20年代の抽象に対して50年代の具象への回帰が言われる。しかしほんとうにそうなのだろうか。実はブルータリズムは、ル・コルビュジエの中でもより抽象性が高まったプロセスなのではないだろうか。現実的な荒々しい物質そのものを、イメージの世界に引きずり込んでいこうとする周到なプロセスなのではないかという気がしてくるのだ。

そう考えてくると、後期ル・コルビュジエの窓のデザインの意味もつかめてくる。窓枠は抽象的なフレームの役割をこえて、積極的にガラス面の映像と対比され、拮抗する。モデュロールによって分割された「市松状窓」は、コンクリートの重々しく荒いテクスチャーの面が空中に浮き、あたかもガラス窓によって、コンクリート面が支えられているかのような反転した感覚をひきおこす。ここでも、外部の風景を映し出すガラス面のイメージとコンクリートという物質が等価におかれることになる。ハーバードのカーペンター視覚芸術センターなどで用いられているコンクリートのブリーズソレイユ。人の立つ位置によっては、すべてがコンクリートで覆われた立面に見えたり、透明なガラス貼りの面に見えたりする。ここでも物質とイメージの交代劇が繰り拡げられているわけである。

ロンシャン教会堂は、無垢の厚い壁や屋根が互いにもたれかかってかろうじて成立しているように見えているが、実際はいわゆる張りぼて建築である。鉄骨の線材を飛行機の翼のように組んで構造を成立させ、その表面に吹き付けることで石やコンクリートのテクスチャーを生み出している。つまり石やコンクリートのテクスチャーマッピングである。ここではテクトニックの真正性など全く問題になっていない。構築と表層を極度に対立させることで表現が成立している。なぜこのようなことをする必要があったのだろうか。それは端的に言えば、重さの感覚と浮遊感という相容れない感覚を同時に成立させようとするためであろう。それが、このランドスケープに宗教建築を成り立たせることに対するル・コルビュジエの解答だったのである。映像があらわす内容の自然さや真正性が問題なのではない。映像そのものが自然で真正であること。それがここでの倫理のようである。

7水、反射と動き
物質とイメージをぶつけあわせて、操作していくル・コルビュジエ。その当然の帰結として彼は水という物質に興味を寄せていく。水は物質とイメージが表裏一体となった素材であろう。水の反射を利用するのは、近代建築においてはすでにクリシェと化している。しかし考えてみると彼の水の扱いは少し特殊である。それはどういうことか。

チャンディガールでル・コルビュジエは、総督公邸とキャピトルの主広場とのあいだの距離がありすぎて関係が希薄になってしまうことに悩んでスタディを続けていた。チャンディガールは制約のない広大な土地で、ル・コルビュジエは何もなさに戸惑っていた。敷地が広すぎて、ヴォリュームどうしを関連づけることができない。これは彼にとって危機的なことだった。ある時彼は、水を主要な構成要素にすることを思いつく。「1952年の4月に描かれた総督の公邸は、予期しなかった建築的な効果の参加を得た。それは影を映すということだ。水に反映するのだ。」高さの異なる水面を、建物のヴォリュームと組み合わせることで、視覚的な近接感を出そうとしたと彼は語っている。つまり遠景と近景を一気に直接水面を媒介して結びつけることによって、全体のスケールを調停しようとしてというわけである。

水が脇役として建物の影を映し出し、美しい効果をひきおこしている例は、枚挙に暇がない。しかしここチャンディガールでは、全体を構成する要素のうちの一つに、水面に映るイメージまでもがちゃんと数え上げられているのかのようなのである。水面への反映を含みこんではじめて、計画の全体像が完成するということ。ここまでイメージを物質に並列させた建築家がほかにいただろうか。

あるいは、東京国立西洋美術館の劇場計画がある。この劇場は、鏡像反転の原理を物理的にもイメージ的にも適用することでできあがっている。屋内と屋外の二つの舞台が、水を媒介にして背中合わせになり反転する関係にある。屋外のほうの舞台は、水の上に浮かび上がる。そして屋外の舞台は、物理的な舞台上の姿に加えて、水鏡に映し出されるイメージとが鏡像関係になるわけである。この鏡像反転関係のモチーフは、随所で繰り返されている。ロンシャン教会堂の礼拝堂は、屋外と屋内の両方から使用される祭壇があり、ここを起点にして空間が反転することになっている。

8構想と実現
 ピュリスム時代のル・コルビュジエには、いくぶんプラトニズム的なところがあった。つまり彼が構想した純粋幾何立体の組み合わせとしての建築案は、それがそのまま縮尺をかえて拡大されて現実に実現すればよいと考えているかのようであった。サヴォワ邸は、敷地の条件の如何を問わず、その類型をどこでも建設することができると考えられていた。サヴォワ邸の理念形がコピーされて各地に建設されるべきだと考えていたわけである。このような構想と実現のあいだの強固なヒエラルキーは、それこそアルベルティの系譜に連なるような建築のプラトニズムを想起させる。

しかしあたりまえのことだが、建築は絵画や彫刻と異なって、人間の手が直接生み出すには大きすぎる。縮減模型や縮尺図面を通して計画が構想され、それが別の施工者によって実現されていくことになるわけだ。構想と実現との間接性は、ル・コルビュジエを継続的に悩ませると同時に彼の建築思考を変容させていく契機にもなっていったようなのだ。

 その兆候は、建築における色彩の使用に端を発している。建築において形を決め、大きさを決めるのは線の役割である。線描による作図が計画の本質を画定する。しかし絵画における色彩の役割を追求していたル・コルビュジエは、絵画空間を三次元に展開したメディアとしての建築に、色彩を導入しようとしたことはよく知られている。もちろん色彩は、図面上に表現することもできる。しかしそれを実現するためには、線とは異なる問題が発生する。かたちは、トラセ・レギュラトゥールで調整し、統御することができる。しかし色彩は、素地や素材が異なれば、同じ色でも全く異なる発現の仕方をする。さらに色彩は、量のちがいが質のちがいに転化してしまうという事態がおきる。つまり面積が変われば異なる色になってしまうわけである。構想と実現とのあいだで異なる大きさを推移する建築にとって、色彩のこのような性質はクリティカルである。

 色彩のこのような性質に直面しながら建築制作に取り組む過程で、ル・コルビュジエは構想と実現のヒエラルキーを崩していくことになったのではないか。彼は、徐々に現場を出来事としてとらえ、現場で偶然発生した出来事を称揚するようになる。コンクリート型枠の目違いなどをはじめとして、構想が実現に転位するする際に生じるノイズに、むしろ表現の一次的な役割を与えていくことになるのである。この変化は実はとても大きいことである。建築自体のメディア性を自分の中に内面化しながら、制作のプロセスを外在化していくル・コルビュジエの姿を私たちはここに見出すことになる。 ル・コルビュジエが晩年に熱心に取り組んだタペストリーにおいても、共通する問題がみてとれる。絵画は構想から実現まで自らの手でコントロールすることができるものだが、巨大なタペストリーは、第三者の手に渡り、大きさを変えていかざるをえないものである。彼はそのことをポジティヴにとらえ、製作過程での不純物や変容を積極的に取り入れ、その結果できあがったタペストリーを建築の一要素として用いていくことになる。

実現は、つねに構想を逸脱する。構想がオリジナルで、実現はコピーであるという考え方を彼はインドではもはや捨て去っている。

9建築の時間
時間を巻き戻して、もう一度サヴォワ邸に戻ってみよう。サヴォワ邸は、映画をモデルにしながら、画像の連鎖を編集することで出来上がった空間装置だった。ただ、サヴォワ邸は、比較的シンプルな時系列にのったシークエンスが設定されていた。映画は文字通り椅子に座ったまま時系列にしたがって鑑賞することを条件にうみだされたメディアだからである。

サヴォワ邸で三次元空間のイメージ編集を覚えたル・コルビュジエは、その後映画に従うというよりはむしろ、建築ならではの物質=イメージの編集技術を高めていくことになるようである。当たり前のことだが、建築は三次元である。人は勝手に動き回り、自由である。映画のように目の前に展開する時間軸が明確に設定できるわけではない。
ラ・トゥーレット修道院では、回廊という回遊動線を決め、建物のヴォリュームが外部空間を囲いとることで、その内側に、強烈な映像空間を編集することが可能になった。当時ル・コルビュジエの事務所でラ・トゥーレット修道院の設計担当をしていた現代音楽家のヤニス・クセナキスは、時間軸に沿って仕事をする音楽と建築のちがいについて述べている。建築から彼が得た教訓は、建築ではディテールから全体へと、全体からディテールへと線的に作業をすすめていくことができないという点であった。すべてを「同時に」進行させること。部分の集積が全体になるのではなく、全体があらかじめ与えられるということ。シークエンシャルに時間の経過とともに経験が蓄積していき、最終的に全体像が理解されるのではなく、一挙に全体が与えられ、その中に細部の経験が折りたたまれているような場所。ル・コルビュジエ晩年の建築空間には、そのような特性が感じられる。ル・コルビュジエは、ピクチャレスクな運動を箱の中に閉じ込めながら、時間を圧縮し、編集する。

アーメダバードの繊維織物協会は、空間が四方八方に膨れ上がり、動きが方々に発生し、建築的としか言いえないような場が生み出されているように感じられる。同時にいくつものシークエンスの可能性がある。サヴォワ邸と同じくスパイラル状の動線を基本にして計画が作られているのだが、渦巻く動きが方々にスピンアウトしていき、なおかつその動きが中断されることがない。圧巻なのは、最上階のコンフェランス・ホールであろう。ブリーズ・ソレイユでフレーミングされた外部的なワンルームのなかに、渦巻き状の壁で半ば仕切られ、半ば連続的につながった場所がある。そこに壁伝いに導かれていくと、コンフェランス・ホールが現れてくる。動線に行き止まりはない。ホールの中は三次元的なスパイラルをつくりだす壁面と屋根面が、人の動きと視線の動きをつくりだす。そしてまた、知らず知らずのうちにホールの外にするりと出てしまう。これはカメラには決して収まることはないだろう。

それはもはや映画的というよりは、三次元の空間ならではの展開の仕方である。サヴォワ邸が映画のカメラを手がかりにしながら、時系列上に展開するショットを編集したとするならば、繊維織物協会では、映画のメタファーからより自由になって、建築的な経験の編集が行われていると考えられないだろうか。そこでの時間は、線状ではなく多層的であろう。その意味ではこれが彼の到達点の一つでもあったのではないかと思う。

あたりまえのことだが建築は、音楽でも映画でも絵画でもない。建築という固有のメディアであり、それは時代とともにある。そのあたりまえのことに正面から取り組んだ建築家は、ほとんどいない。ル・コルビュジエは未曾有のメディア転換の時代、あらゆるメディアが複製技術に転換していった時代に建築をはじめ、複製技術とは無縁だと思われていた建築というジャンルを、一つのメディアとして思考した。彼は、複製技術としての建築を生涯追及した。それが彼にとっての近代建築であった。複製技術時代を生き、その時代の条件を受け入れながらさまざまな同時代のメディアのメタファーを駆使し、援用しながらも彼が到達しようとしたのは、建築というメディアに固有のメディア性であり、その可能性であった。複製技術としての建築が、ここに浮かび上がる。
(初出:DETAIL JAPAN (ディーテイル・ジャパン) 2007年 07月号)