逃げ去るイメージ倉方俊輔『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社)
倉方俊輔『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社)
倉方俊輔氏による『吉阪隆正とル・コルビュジエ』が刊行された。一文を短く刻みながらも、ゆったりとした間合いで余韻を含むこの書物の文章は、吉阪隆正の生に流れていた時間を復刻しようとする。歴史を単純な史実の目録に還元するのではなく、流れていた時間を生き直すための語りとして建築史を描きなおそうとする意欲的な試みである。
この書物では、吉阪隆正の建築理論の可能性の中心が明快に提示されているのだが、しかし理論だけが独立して取り上げられることはなく、吉阪隆正の生の中に埋め込まれたものとして捉えられている。かたちと機能を別々の水準で分解した後に結びつけるのではなく、同時に析出する単位を見つけ出そうとする吉阪隆正特有の手法、形態論と計画学の統合としての造形論は、建築の生態学とよびうる発見的な手法であり、アクチュアルなものである。ただし吉阪隆正の理論は、システマティックに整理されたものとして姿を現してはこない。吉阪隆正の探求する建築の生態学は、断片的であり、飛躍を孕み、複数の要素が相互貫入している。それは、生そのものが断片的であり、こう言ってよければ気まぐれだからである。そしてそれこそが生態学と呼びうるものだからだ。生のそのような様相を模倣するようにして、吉阪隆正の理論は緻密に、雑然と組み立てられている。
倉方氏の文章には、主語が消え落ちてしまうときがある。主語が明確に示されないままに、行われたことが語られる一文に、読者は出会うことになる。この欠落した主語は、倉方氏の語りの手法にとって重要な機能を果たしている。それによって私たちは、行為の主体を問うまもなく直接的に、吉阪隆正が直面していた逡巡や決断の現場に立たされることになるわけである。言葉によって過剰に説明しきることなく、状況を描ききらないこともまた、効果を発揮している。まるでその時々の状景を映し出すイメージとワンセットで言葉が設えられているかのように、読者は、数点挿入された吉阪隆正の当時の写真を起点にして、次々と脳裏にイメージを投影していくことになるのだ。
だがそのイメージは、ことごとく逃げ去るイメージである。吉阪隆正は逃げ去る。実は倉方氏の文章における統辞上の主語の欠落は、吉阪隆正という人自身がもっていた本質的な特性とも深いつながりがある。これまで吉阪隆正が、幅広く知られることなく謎めいた存在であり続けたのはなぜか。なおかつ今でも吉阪隆正が有効なのはなぜか。倉方氏のこの書物は、内容と形式の両面からこの問いに答えようとしている。内容も形式もそれぞれ独立して考えていてはだめである。内容と形式が連動していくことこそ、吉阪隆正的な事態だからだ。吉阪隆正は、文章の仕事も設計の仕事も、すべてこの点において完全に一貫している。この書物は、内容からも形式からも、吉阪隆正を深く追っていこうとしているわけである。
倉方氏から聞いた吉阪隆正の建築教育のエピソードがある。きわめて魅力的だが、さてどんな意味があるのだろうかと思わせるような抽象的な課題を、吉阪隆正は出すことがあったそうだ。たとえば、都市計画の授業で、正方形を何等分かにするパターンを数百個描きなさいといったようなものだ。そんなとき、決まって吉阪隆正は一切説明せず、それどころかそのまま山登りに行ってしまって、課題を出したまま数ヶ月間いなくなってしまったりするらしいのだ。学生たちは宙吊りにされたままその膨大な課題をこなしていくうちに、量が質を変容させ、自分たちでその課題の意味を拡張し、問い以上に答えが膨らんでいくことになるわけである。そしてここにも、吉阪隆正はいない。逃げ去ることで謎が生まれ、謎が思考を導きよせる。
今年の春、私は倉方氏とともにインドのル・コルビュジエを訪ねる旅に出た。その時倉方氏は、ちょうどこの書物の最後を書き上げている途中だった。彼は、タージマハルでは伊東忠太を、ジャンタル・マンタルでは吉阪隆正を捜し求めていた。伊東忠太が、吉阪隆正が、凝視したはずのものに、自らの視線を重ね合わせること。そんな思いに憑かれたかのように対象を次から次へと写真に収めていたことを思い出す。空白の主語を埋め合わせるかのように。この書物の中には、そのときの彷徨もまた、折り目正しい繊細な手つきで封印されている。
そして今、私たちが吉阪隆正を捜すためには、この書物を開きさえすればよい。吉阪隆正が示して見せる茶目っ気たっぷりの謎めいた問題に浸りきること。もっともらしくわかったような顔をするまえに、わからないことの魅力に茫然自失すること。吉阪隆正の背中を追いかけながら。
(初出:新建築住宅特集 2006年)